バイリンガルに関する疑問、なんでも答えます

Q.バイリンガルの定義はなんでしょうか?

ある人間が複数の言語を使用可能なとき、それをマルチリンガルとよび、使用可能言語が二つの場合、バイリンガルと呼びます。ちなみに三つの場合、トライリンガルと呼びます。しかし、言語をどの程度まで扱える場合にバイリンガルもしくはトライリンガルと定義されるのかは定まっていないようです。

Q.どのくらいできればバイリンガルといえるのでしょうか?

バイリンガルの定義のところで、述べたように、語彙の量などを基準としてきちっと定義が行われているわけではありません。したがって、基本的に今現在の自らの持つ限定された語彙を利用して自らの意思を自由に伝える自信がある場合すべてがバイリンガルの状態であるといってよいと思います。

Q.どれくらいでバイリンガルになれますか?(基本的に今現在の限定された語彙を利用して自らの意思を自由に使えるという意味でのバイリンガルにはどのくらいでなれますか?)

学習効果は人によって全く異なります。ただ、集中学習によって話せるようになっても、学習を継続していかないと英語の力は落ちていってしまうため、維持させることが大変重要となってきます。例えば、学校の試験などがいい例で、その試験のためだけに自分の実力を上げることは、一夜漬けでも何とかなる場合もあります。しかし、言語に関してはそれはまったく意味のないことであることは明らかです。ですから、「バイリンガルになる」という一点通過よりも、「上記の定義に照らして、自分はバイリンガルであると自信をもっていえる状態」を維持させることが重要です。

Q.バイリンガルというと「臨界期」という言葉がよく聞かれますが、このことについて教えてください。

言語学における臨界期とは、「ある時期(年齢)を過ぎると自然な言語能力の習得が不可能になる」という仮説です。もちろん、これは仮説であって、絶対的に証明がなされたものではありません。ただ、さまざまな事象や学習者の学習経験等などから、大まかにはそのようなことが言えるのではないかと考えていることも事実です。具体的な時期としては、だいたい出生から思春期(12歳ごろ)までであるとされています。ただ、ここで気をつけなければならないことは、この仮説における表現で『「自然な」言語能力の習得』というように、あくまでも「自然な」習得、すなわち赤ちゃんが言語を習得するように習得することが不可能になるということであって、言語習得自体が不可能となるという意味ではないという点です。この時期までにやらないと手遅れになるというような誤解を利用した過剰な『英語学習ブーム』を引き起こすことにはわれわれは強く反対します。

Q.バイリンガルになると日本語の力がおちてしまうのですか?

この質問に対しては、一律にはお答えは難しいと思います。臨界期の問題と関係でどの時期にバイリンガルを目指して学習するのかで変わってくると思います。臨界期以前に両方の言語を垂れ流すことはあまりおすすめできません。日本語が「思考」の基礎となる前に、両方に大量に触れさせてしまうことに心配があります。逆に、すでに「思考」の基礎が日本語にて出来上がってしまっている思春期以降であれば、まったくその問題はありませんし、むしろ英語学習のプロセスによって日本語を客観視することができ、より深い日本語力を身につけさせることもできるようになると思います。したがって、臨界期以前の英語教育はいわゆる「諸刃の剣」だといえそうです。

Q.バイリンガルになるためにはやはり臨界期を意識するべきでしょうか?

このことは、上記二つのQ&Aのメリットデメリットを考えた上で判断すべき問題だと思います。臨界期以前の英語教育は「諸刃の剣」なので、これは語学教育に関する価値観の問題となります。『思考』の基礎の日本語化を犠牲にすることで、今後予想される国際化に臨み、英語を『自然に』習得させ、『思考』自体を英語化することを望むのか、『思考』の基礎は、日本語できっちりと固め、英語はあくまでもツールとしての『外国語』で国際化を乗り切るのか。このことを真剣に考えた上で、選択すべき重要な問題だと考えています。

Q.バイリンガル教育と幼児英語教育の関係性について教えてください。

「日本語力」と「自然に英語を身につける」こととは、「諸刃の剣」だと申し上げてきました。「自然に英語を身につけられない」臨界期以降の学習者は、文法を梃子として利用して学習することで、日本語での「思考」を客観的に補助するという副次的効果も出てくるということもありえます。したがって、どちらがその人間にとって必要なことかを見定め、その両方に存在するリスクとリターンを的確に判断した上で選択しそれにしたがって教育を施してあげるべきであると思います。

Q.バイリンガル教育に関連して小学校英語教育必修化についてはどう考えますか?

小学校英語教育必修化の論点は大きく二つあると思っています。それは、目標の適切な設定と教師の質の問題です。小学校5・6年生というと臨界期以前ですので、時期としては、自然な言語能力の習得が可能な時期です。そのため、多くの人が過大な期待をしてしまいます。しかしながら、現在予定されている英語教育にかける時間は、週に1回程度です。この時間の中で到達でき、なおかつ意味のある着地点というものを事前に明らかにしておくべきだと思います。実際に文部科学省もその目標を「外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませる」としています。慣れ親しませるということを重視する以上、『言語習得』という高い目標を掲げず、子供たちのとっつきやすい「歌」「クイズ」などレクリエーション傾向の強い授業を求められると考えます。そして、この目的を達成するために、次に重要なのは、実際に教育にあたる小学校教諭が、きちっとその目的を達成させられる質を備えているかどうかということです。求められる能力は、詳細で体系的な英語知識ではなく、一定水準の限定的文法と語彙知識(中3程度)とそれを元に「自由活発な英語活動を児童の前で表現ができること」。このことに尽きると思います。このような教師に触れて、英語に対する高いモチベーションを子供たちに持たせることにより、中学以降の体系的な「英語学習」により主体的に取り組めるようにさせるということが担保できれば週に一回程度の英語の必修化は十分意味のある試みであると考えています。要は、それ以上でもそれ以下でもないという国民のコンセンサスを基に行うことが重要だと思います。

Q.ランゲッジヴィレッジでは、どのくらいでバイリンガルになることができますか?

この質問ほど、究極的な質問はないと思いますが、果敢にお答えいたします。答える前提として、臨界期を越えて英語を学ぶ日本人とします。基本的な文法や語彙が学校英語によって詰め込まれている日本人であれば、1〜2週間「国内留学」を体験するだけでも驚くような成果が見込まれます。このことを、申し上げると、かならず「10年も勉強してできない英会話が1〜2週間でできるようになるはずがない。」という意見がでますが、ランゲッジヴィレッジが提供する英語だけで生活をする「環境」こそが、外国語を身につけるために必要不可欠なものだと考えています。1〜2週間という期間は、少なくとも人間の生活サイクルの中で必要なコミュニケーションパターンを出し切るのに十分足りる期間です。その期間中、朝食から夕食後までずっとネイティブ講師がそばについている環境を作り出しています。このような今までに国内で実現できなかった『環境』を作り出すことで、今まで不可能だと考えられていたことを可能にしました。

Q.バイリンガルになるためにはやはり文法はしっかりやらないとダメですか?

臨界期を越えた後の人間が母国語以外の言語を学ぶためには、文法をしっかりやることが最大の近道であることは間違いないことだと思っています。なぜなら、臨界期を過ぎたら、「自然な」習得、すなわち赤ちゃんが言語を習得するように習得することは極端に難しくなるので、『文法』という梃子を利用したほうが楽に決まっているからです。そういう観点からすると、日本の中学校の文法中心の英語教育は理にかなっていると思われます。しかしながら、日本の英語教育は現在でも『コミュニケーション』の観点からは大いに批判の対象となってしまっています。その理由は、高校になってからも同じようなことの繰り返しで、せっかく身につけた文法を『使う』機会をまったく与えていないからです。そのため、ほとんどの人にとっては何もやっていないのと同じ状態で終わってしまっているからなのです。すなわち、日本の英語教育の問題は、教育全体が間違っているのではなく、全体のバランスが悪すぎることだと考えています。

Q.バイリンガルといってもアメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語とかありますがやはりイギリス英語が一番よいのでしょうか?

この質問ほど、英語学習者にとって無意味なものはないと思っています。にもかかわらず、驚くほど多くの方が気になさっていることでもあります。はっきりいいます、「英語を学習する」という態度で接しているレベルにおいてはまったく気にする必要はありません。逆に、この違いを云々することができる方は、もはや『英語を学習する』という姿勢ではなく、英語がみずからの生活の中に自然体で取り込まれているほどにできる方であるはずです。また、オーストラリア英語のクセがきになるという方も多いのですが、それが身についてしまうぐらいにその英語に習熟されるということは大変すばらしいことだと思います。想像してみてください。イギリスの女王とアメリカの大統領、オーストラリアの首相が集まって会談が行われたとき英語を使って何か問題が生じるでしょうか。そのような話は聞いたことがありません。

Q.なぜ、ヨーロッパなどにはバイリンガルの人が多いのですか?

ヨーロッパなどでは、何ヶ国語もペラペラ話せる人がざらなのに、日本では英語すらまともには・・・という話がよくあります。しかし、これは、日本において高校以降の教育で『英語を使用する環境』を一切提供してきていないということを考えれば、「能力」の問題ではなく、「環境」の問題であると断定できます。すなわち、ヨーロッパと違って、島国日本においてはそのような「環境」を見つけることが極端に困難だったのです。ですから、ランゲッジヴィレッジでは、その「環境」作りに徹しているということなのです。

Q.バイリンガルになると痴呆にならなくなるって本当ですか?

本当かどうかは分かりませんが、以下のような研究結果があるようです。バイリンガルは、モノリンガルより、認知症の発症が約4年遅いという分析結果を、ヨーク大学(カナダ)などの研究チームが発表しています。トロントの診療所を受診したアルツハイマー病など認知症の患者184人を対象に、症状の経過と学歴や職業などのデータを分析。若いころ身につけた2か国語をずっと使い続けてきたバイリンガルは93人で、認知症の発症年齢は平均75.5歳だった。一方、モノリンガルの91人は平均71.4歳で、4.1年早かったそうです。ただ、これについては、サンプルが184人ということなので、その信憑性には議論の余地がありそうです。

Q.外資系に勤めるビジネスマンは全員バイリンガルなのでしょうか?

結論的にはそんなことはありません。ただ、確実にいえることは日本企業に比べてバイリンガルになることが大きなメリットとなる確率は格段に高いということです。また、最近では日本の企業だと思って就職したが、外資系によるM&Aによって突然、上司が外国人となってしまったなどという事例が珍しくなくなっています。こうなると、日本企業をふくめて日本の企業環境全体で、バイリンガルであることがメリットというよりは、モノリンガルであることがデメリットである職場環境になってきているかもしれません。

Q.帰国子女など上級バイリンガルはTOEICやTOEFLなどのようなテストでも高得点を簡単に取れてしまうのでしょうか?

ある程度(600〜700点)まではそういえるかもしれません。しかしながら、それ以上の点数を獲得するためには、いわゆる『試験対策』を施すことでその試験の傾向を把握し、問題処理能力を高める必要性があります。しかし、これは言語能力とは異なる能力であることから、それらの点数で非常に高得点を有している人でも会話となると苦手であったり、非常に高いコミュニケーション能力を持っている帰国子女でも点数はそれほどでもないという事例はかなり多く見受けられます。これが、TOEIC、TOEFLの限界といえるかもしれません。つまり、言語運用能力というものが、主観的要素を多く含む性質を帯びているものなので、ペーパー試験のような客観性を重視する方法にそもそもなじまないといえると思います。したがって、できるだけ正確に人間の言語運用能力を測るためには、熟練された面接官による面接という方法しかないだろうと考えます。昨今の多くの企業、学校がTOEIC,TOEFLを能力測定基準としていることは、自ら有能な面接官を使って、一人ひとりの能力を測ることのコストと手間を惜しんでのことだと思います。その試験の不完全性に目をつぶって、手っ取り早く、『ある程度の』精度の測定を採用する『費用対効果』を重視しているのだと思います。

Q.男性と女性でバイリンガルになりやすいということはあるのでしょうか?

今までさまざまな事例を見てきた中であえて言いますと、女性のほうが割合が高いような気がします。しかし、その原因は性別というよりかは性格にあるように思います。あくまでも臆せずに積極的に人と交わることができる性格が一番の近道で、どちらかといえば女性にそのような方が多いような気がします。ですから、男性・女性問わず、言語を学ぶ際には、とにかく積極的に自分からどんどん講師に話しかける姿勢で臨むことです。


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